贈りもの帖

贈りものの先にあるもの

贈りものの先にあるもの

20年以上ぶりに実家で母とともに暮らすことになり、引っ越しに向けて、わが家と実家の大片付けをしました。作業を進めるなか、懐かしいものがふいにあらわれるたびに手がとまり、時間も心もとられます。

古く懐かしいもののなかには、父が出張の折に買ってきてくれたおみやげもあり、受け取って開いたときの子どもの頃の記憶も箱のなかから一緒に飛び出してきます。あの頃、きれいでうらやましく眺めていた母へのおみやげは、今ではわたしが引き継いでたいせつにしているものもいくつか。

お誕生日やクリスマスなどのプレゼント以外に、出張のおみやげや一緒にお買いものしたものも、両親からもらったものは、いつのまにかみんな「贈りもの」として記憶にインプットされていることに気づきます。


父が金沢へ出張したときに持ち帰った、妹とおそろいの合わせ鏡。
こんな古くさい雰囲気のもの、どうやって使うの? 妹は桜の模様で、なぜわたしはこんな地味な草? と不満に思ったっけ。今なら、きれいな塗りものに描かれた絵柄は迷わず秋草を選びます。こっちでよかった。

ヨーロッパへの何度かの出張で父が母に買ってきた、エリザベス女王のシルバージュビリーのコンパクトや、ルビーの連なるネックレス。隣であこがれの思いで眺めていた気持ちはそのときのまま。その後母から譲り受けて鏡台の引き出しにたいせつにしまっているものたちは、今でも手にするたびにうれしくて。手渡す父のうれしそうな顔も思い出します。

選んでくれた父の「想い」を今も感じられること。うれしいと思うこと。父にもう直接言えなくて寂しく思います。

贈りものって不思議です。何年経っても、贈ってくれた人にはもう会えなくても、その人の想いにはふれることができる。贈りもののその先には、贈った人から相手へのあたたかな「想い」があるのだなぁと思うこの頃です。

スタッフ ito

GIFTGRAPHY担当。 先日、友人にピアスの贈りものをしました。同じものを自分にも。しばらく会えない友人ともしかしたら今日はおそろいで身につけているかも、なんて想像をしながら友が笑顔でしあわせでいることを祈っています。


なにをお探しですか?